プロローグ

製造装置ショーにて

小日本スクリーン株式会社がメカニカル搬送という画期的な製造装置を開
発し、顧客が強い購入意欲を示しました。西京エレクトロン株式会社の小
高敏夫会長と久保徳雄前々社長は、強い危機感を持ちました。そこで、1
987年(または1988年)12月始め晴海で開かれた製造装置ショー
に見学に向かった社員に対して、アンケート調査することを思いつきまし
た。社員に対して、アンケート形式の用紙を配り、この中に調査したい項
目を示し、情報を収集するという方法でした。私は製造装置ショーで見た
画期的な小日本スクリーン株式会社のメカニカル搬送という画期的な製造
装置から受けた印象から、このアンケートにこの小日本スクリーン株式会
社のメカニカル搬送の製造装置を潰すためのアイデアを提案しました。斬
新的なアイディアだったので、賛否両論に別れ、紆余曲折を経て、結局は
採用され、新たな製造装置が開発され、小日本スクリーン株式会社のメカ
ニカル搬送の製造装置を圧倒しました。しかし、製造装置ショーの主催者
がこの事情を知り、小高敏夫会長と久保徳雄前々社長に私の氏名を明すよ
う強要しました。そして、私の氏名が明され、主催者のブラックリストに
私の氏名が登録されていまいました。アンケート調査が問題にされたので、
このようなアンケートは実施されなくなりました。小高敏夫会長と久保徳
雄前々社長がもっと情報を得ようとして、私の大学時代の友人達に、私の
動向調査を依頼しました。さらに、小高敏夫会長と久保徳雄前々社長はこ
のようなことが自社の新製品に対して行われないとも限らないので、製造
装置ショーでの新製品の展示方法を大幅に見直しました。つまり、実際の
製造装置を展示せず、製造装置のパネルのみを展示し、顧客には自社のク
リーンルームまで出向いてもらうように、商談スペースのみを設けること
としました。1990年(もしくは1991年)12月始め幕張メッセで
開かれた製造装置ショーに私が出向いたとき、受付で名刺を提出すると、
受付係がいったん机の下にあるPCでリストを確認し、他の参加者とは異
なる黄色の名刺ホルダーを渡しました。私はこの応対で主催者のブラック
リストに記載されているのではないかと思いました。この主催者の本部は
米国にあります。



ホワイトハウスにて

1990年8月湾岸戦争が発生し、日本は金銭協力のみで、戦争自体には
参加しませんでした。米国政府内では、日本が戦略的なパートナーとして
適切かどうかが問題になりました。ジョージ・ハーバート・ウォーカー・
ブッシュ米国大統領は、日本のリーダーに不満を持ちました。そこで、日本
にはリーダーに適した人間がいないのか、リーダーに適した人間がリーダー
にならないのかという命題に直面しました。この命題の答えによって、日
本が戦略的なパートナーとして適切かどうかが決まると考えました。この
命題の回答を得るために、米国政府が日本人の人物調査を行い、リーダー
に適した人物を選択し、日本政府に推薦し、政治家等のリーダーにするよ
うに要請しました。つまり、これで期待にこたえられるリーダーが生まれ
ないなら、日本にはリーダーに適した人間がリーダーになることは無く、
日本は戦略的なパートナーとして適切ではありえないというになると考え
たのでした。米国政府はあのブラックリストの中から私を見出し、強力な
洞察能力、予測能力を見出して、日本政府に推薦しました。

私は何らかの背後に付かれるような違和感を感じ、政府に監視されている
こと認識しましたが、何かの際に役に立つこともあるのかなと考えて、注
意はしますが、気にしすぎないこととしました。あまり気にすると気が狂
ってしまうからです。


次は、”第1章 経済から政治へ、日本から世界へ 〜バブル崩壊の回避〜”です。

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